第2章

「考える」と「感じる」

チョー感覚を持つ消化器医

 ちょっと前に、ニューヨーク市の消化器医のクラーク・ハリスはCNH Global N.V.という農業用具や建築用具を作る会社の株を買った。友人が彼になぜその会社の値が上がると思ったのかきいたところ、ハリス医師は、普段は買う前に株の下調べをするような人だったが、会社については殆どなにも知らないと言った。(会社はオランダにあった)都市部在住のお医者さんで、トラクター、乾草梱包機、ブルドーザー、掘削機のどれも知識はなかったが、とにかくその銘柄が気に入ったのだった。結局、ハリス医師は彼のミドルネームがネルソンで、株式ニュースでの会社の略称がCNHで、自分のイニシャルと同じだったのでと説明した。そうして、陽気に言うには、それが買った理由だと。彼の友人がさらに投資に他に理由は無いのか訊いたところ、ハリス医師は答えるには「だってなんだかいい感じがした。それだけだよ」。
 お金に関して決断するとき、肚にきいてみるのは消化器医に限った訳ではない。1999年にComputer Literacy Inc の株は一日で33%も上がった。単にfatbrain.comへの社名変更を行っただけだが。1998-1999にかけては、単に社名を.comとか.netとかinternetといったものを含んだものに変更した会社は残りの情報産業の会社に比べて、63パーセントも優れた結果が得られていた。

 Boston Celticsの株が一般取引されていた間、新しいアリーナ建設などのような商業的に重要な要素ではなくて、前の晩の試合の勝ち負けで株の価格は上下していたし、少なくとも短期的な話では、収入や最終利益といったファンダメンタルに左右されることはなく、むしろスポーツファンが気にかけること…たとえば昨晩のスコアなんかによって動かされていた。

 ほかの投資家はもっとハリス医師とかバスケチームのファンなんかよりも直接的な意味で肚に頼ることがある。クリスピークリームドーナツの株を買った理由を訊かれて2002年にある投資家はネットで「あれは衝撃だった、うちの上司が事務所全体に30ダース、ダース6ドルで買ってきてくれて、コーヒーの味で風味を変えるのが惜しかった。今では株を買いまくってる」他の投資家はネットの掲示板に「ドーナツおいしいから、ここの株は上がるよ」と書いていた。

 これらの選択のうち、共通するもので、まず一つ目は、皆直感で選ぶにいたったこと。これらの株を買った人たちはその会社の基礎となるビジネスを分析していない。その代わりにフィーリングとか熱気とか、虫の知らせとかで買っている。また、二つ目に共通するのは、皆、間違いだったということだ。ハリス医師が購入してからはCNHは成績が悪いし、fatbrain.comはもう独立した会社としては存在していないし、多くのいわゆるドットコム企業は1999-2002の間に90%以上値段を下げている。Boston Celticsは、シーズン中よりもオフの時期のほうが高いリターンをもたらすようになっているし、クリスピークリームの方は3/4以上値を下げている、、、ドーナツはおいしいままだけど。

 こういった考え方は、単純な投資家にありがちなことというだけではどうやらなさそうだ。250人以上の金融アナリストを対象とした調査では、91%以上は、投資を評価する上で最も重要なのは、いろいろな事実を説得力あるストーリーとして構成することだとしていた。ポートフォリオマネージャーは株が「良い感じ」かどうか、プロのトレーダーも何億ドルも「肚がささやくもの」に基づいて投資しているし、あのすごいヘッジファンドのトップのジョージソロスも、伝えるところによると、腰痛の時には投げ売りを考えるようだ。

 マルコム・グラッドウェルは、彼の著書『BLINK』の中で、「早急な決断は、慎重に計画的になされた決断と全く同じ程度のものになりうる」と述べている。グラッドウェルは優れたライターだが、投資の話になると、彼の議論はとっても危うい。直感は、驚く程早く正確な判断を生み出す事ができるが、あくまでも、うまくいく状態のときー良い決断に到達するためのルールが単純で安定している場合にーのみだ。不幸な事に、投資の選択は単純なことはまずないし、(短期であっても)成功するための鍵はとっても不安定なものである。しばらくうまくいっていた債券が、買ったとたんにみじめな配当しか出なくなるとか、何年も損し続けた新興市場の銘柄が、手仕舞いにしたとたんに価値が2倍になるとか。金融市場の気違いじみた喧噪の中で唯一適用されているようにみえる規則は、マーフィーの法則だ。そしてこの教えは悪魔のようなツイストを踊りながらやってくる。「全ての悪化しうる事態は、その悪化を一番予想できないときに限って悪化する」てやつだ。グラッドウェルは、我々の直感がしょっちゅう我々を誤った方に連れてくのを認めるが、我々の直感に関する直感が、我々を誤らせうることをはっきりさせていない。投資市場で一番きつい皮肉:投資に関して自分が間違っていることの一番の指標は、自分のやっていることは正しいと直感をもつことである。直感的にすごい儲けになりそうだと思うほど、お金をより失いやすいというのはよくある話だ。
 こういった法則に支配されるゲームの中で、もしもひらめきだけに頼るなら、よろめきたくなる投資結果になるだろう。直感は投資においては、ちゃんとした役割はあるが、脇役に徹して、主役をやらせてはならない。幸運にも、自分にとってよりよく直感を働かせることはできるし、直感だけで投資しなきゃいけないってこともない。最良の投資判断は投資脳の二つの強みに頼る。直感と分析、感じることと考えること、だ。
 この章ではこの両方を最大限活用する方法をお見せしよう。

二つの脳を持つ男
即答しよう。
問い:もしもジョンFケネディが暗殺されなかったら、今いくつだろう?
ファイナルアンサー?

たいていの人は、最初に76,77くらいだと思って、考え直して十歳くらい足すだろう。(正解:JFKは1917年5月29日生まれ。計算してね)最初の答を間違えたからって、素人とは限らない。2004年に意思決定の世界的な権威の一人にこの質問をしてみたところ、75だと答えて、ちょっと考える時間を与えると86歳と答を変えた。
 なんで最初に答を間違えて、それから簡単に訂正することができるのだろう?最初に問題に出くわした時には、直感的に、ケネディの力強く若々しい指導者のビジュアルの記憶を呼び出すだろう。それから、その若者の年齢を上向きに修正していく…それだけでは不十分だ。多分リンドン・ジョンソンや、レーガンみたいなより高齢の大統領と比較すると、ケネディは実際よりも若く見えるのだろう。ケネディのどこか童顔な顔が自分の意識にどっしりとひっかかってしまい、他に考えなければならないこと、例えば死んでから何年経ったのかなんてことを押しのけてしまうのだ。

 心理学者はこの過程を「係留と調整」と呼び、これを我々はうまく日常的に使いこなしている。ひとたび考えさせられるようになると、脳の分析担当部分が直感的な誤りを認識し、修正してくれる。こんな具合だ。「ちょっと待てよ、ケネディはたしか撃たれた時に40台半ばで、1963年くらいじゃなかったっけ。だからもしも生きていたら今頃90くらいかなあ」
 
 直感がいつも理性的に考えさせる機会を与える訳ではない。1970年代初め、エルサレムヘブライ大学の心理学者Amos Tverskyとダニエル・カーネマンは0から100の番号のついたルーレットを回してもらい、それから国連加盟国にアフリカの国が占める割合とその数のどちらが大きいかを見積もってもらった。ルーレットから出てくる数字は大きく異なるし、明らかにランダムな(そして全く関係ない)数字はこの判断にまったく影響を与えないはずだ。平均すると、10を出した人たちはアフリカは25%くらいしか占めないと答えたのに対して、65を出した人たちは45%がアフリカと答えた。

 貴方のアンカリング効果を試すのにこんなちょっとした実験はどうだろう。電話番号の最後の3桁を抜き出して来て、400を足そう(例えば、末尾3桁が237なら、400を足して637だ)さあ、二つの質問に答えてもらおうか。「アッティラ大王がヨーロッパを征服したのはその数の年よりも前か後か?」「実際にアッティラ大王が打ち負かされたのは何年?」

 電話番号は中世の蛮族に全く関係はないけれども、何百人もの人に実験してみたところ、以下のようにアンカリングされているのがわかる。

 計算して出て来た数      想像した年代の平均
  400-599            629年
  600-799            680年
  800-999            789年
 1000-1199            885年 
 1200-1399            988年

ところで、正解は451年。
 直感は数字と出くわすと、どんな数字であっても、のり付けされてしまったかのように固まってしまう。
 こうして、不動産屋が一番高い家を最初に見せると、他のが比較的安く見えてくるし、投資信託で、新規の投資家を「安い」初期投資で誘い込もうと、新しいファンドがよく10ドル単位で売り出されているし、といったわけだ。
 金融の世界では、アンカリングはそこら中にあり、何故アンカリングが強く働いているのかを知るまでは、アンカリングから完全に身を守ることはできない。

 もう一つ他の、直感と分析思考の綱引きを見せてくれるような実験をしよう。
 キャンディバーとガムが1.10ドルで、キャンディバーの方が1ドル高い。
即答して:ガムはいくら?
 さて、30秒あげるから、質問の答を変えるかどうか決めて。

 大体の人は、最初の段階で、ガムは10セントだと答える。しっかり2番目の自問をするまでは自分の間違いに気がつかない。ちょっと考えてみて、間違いだということに気がつく。もしガムが10セントで、キャンディが1ドル高いなら、1.10ドルで合計は1.20ドルになってしまって間違いだ。ちょっと頭を動かして正しい答にたどり着く。正解:ガム5セント、キャンディバー1.05ドル。

 もし、、もしもできたらの話なんだけど、、脳の分析思考担当が自分の直感は間違いを起こしうる事に気づいていれば、今みたいにして問題を解く事ができる。UCLAの心理学者、マシュー・リーバーマンに提示された用語を用いて、私はこれら投資脳の二つの観点を反射(本能)システム、反応(分析)システムと呼んでいる。

 殆どのお金の場面での決定は二つの思考方法の綱引きだ。分析が直感に勝つのがどんなに難しいかをみるのに、fig2.1を見てみよう。自分の知覚にもてあそばれているのが分かっていても、幻影に克つのは難しい。自分が見ているものが間違っている事がわかっていても、やっぱり正しいような気がしてしまう。ダニエル・カーネマンが言うように、「定規を使う必要があるのをちゃんとわかるようにならなきゃ」
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図2.1 どっちが長い?

 有名なミューラー・リヤーの錯視では、上の線は下の線よりも短く見える。実際には同じ流さだし、定規を使えば簡単に確かめる事が出来る。だけど、直感が持つ力がとても強すぎるため、そうでないのがわかっていても、下の線が長く見えてしまう。

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だからといって、反射する脳はパワフルでおばか、反応する脳は弱いけど賢いなんてことはない。実際のところは、それぞれに得意なことと苦手なことがあるというとこだ。もっと二つのシステムの動き方や、いかにそれらを投資家として役に立てるかについて知っていこう。

反射する脳

 
 感情的な思念は右脳に宿って、論理的な推論は左脳に基づくとよく信じられている事は全くの間違いというわけではない。ただ本当のところはもっと繊細なものだ。二つの思考方法が行われる場所は違うところで、右だ左だというよりは、上だ下だといったほうがもっと関連がある。
 反射システムは主に、我々が「考えるところ」と思うような大脳皮質の内側に構えている。大脳皮質も感情系で大事な部分なんだけど、殆どの過程は脳幹部分と大脳辺縁系で進行する。脳の真ん中の組織の塊、脳幹基底核、(その見た目から、線条体としても知られている)は報酬とみなすもの、食べ物・飲み物・社会的地位・セックス・お金、、をなんでも認識して探すのに主要な役割を果たしている。それに複雑な思考が形成される皮質と、外部からの刺激が最初に扱われる辺縁系の間の中継地点としても働く。
 すべてのほ乳類は辺縁系を持っていて、私たちのものは、他のほ乳類と同様、気持ちの発火する地点として同じように働く。人が生きていくには、できるだけすばやく報酬を得て、危険を避けないといけない。扁桃体視床のような辺縁系は、視覚聴覚嗅覚の感覚をひったくってきては、「悪い」から「良い」まですごい速さで評価の目盛りの上に並べる手伝いをしてくれる。次に、これらの評価は恐怖とか喜びといった感情に変形され、体を反応させるように衝動を与える。
 反射系はとても速く反応してしまうため、脳の知覚する部分が、反応しないといけないものがあることを認識するのよりも速く反応が終わってしまっていることもしょっちゅうである。(高速道路で、自分でも気がつかないうちに事故を回避しようとすごい勢いで方向転換したようなことを思いだそう)脳のこの部分は0.1秒もしないうちに警報を鳴らしてくれる。
 反射系(SYSTEM1とこれを呼ぶ研究者もいる)は「判断や決断を行うときの最初のきっかけ」をとらえると、UCLAのMatthew Libermanはいう。我々は周りをまず認識するのに直感に頼っているー直感がよくわからない時だけ、分析にたたきこむのだ。カーネマンが言うように、「我々はSystem1ソフトで動いている」のだ。
 実際、反射する脳は一つに統合されたシステムではなく、さまざまに異なる問題に対して、ひらめいてくるものとか、リスクや報酬の知覚へのパターン認識とか、対面する人への性格判断などといったいろんな方法で取り組んでいく構造や過程のごたまぜになったものである。しかし、これらの過程に共通するのは、即座に自動的に、意識下で行われがちということである。
 そうすることで、避けたり得ないといけないようなリスクや報酬に出くわさなければ、通常時に身の回りで進行する事の大部分を無視できる。Reuven Ducas、オンタリオのハミルトンのMcmaster大学の行動生態学者、は一度に二つ以上の刺激があると、鳥や魚のような動物たちが認識して得る事ができる食物の量が劇的に減少することを示した。ヒトはこれと異なる事はない。並行処理はヒトの業(わざ)だし、新しい課題に振り向けられる知覚の低下はヒトの業(ごう)だ。注意を元から別の対象へと動かす事はDukasが言う「効果低下期間」を引き起こす。注意を向けなおすときには、脳は一時ペダルをこぐのを止めて、最高速に戻さないといけない自転車乗りみたいなものである。Dukasが言うには、我々は「一番大切そうな刺激に注意を注ぐように作られている」のだ。
 結局、我々の脳は自分の周囲で起こること全部についていくことなんてまずできないのだ。安静時に、体重の約2%を占める脳は酸素や体内で燃やすカロリーの20%を消費する。脳はこんなに高く調節されたコストを支払って機能するために、自分の身の回りのことのほとんどを無視しないとやっていけない。世の中のもののほとんどは意味が無いし、全てのものに分割して、平等に、継続して注意を払おうものなら、情報処理がオーバーフロウして、あっというまに脳を燃やしてしまうだろう。「考えるのって疲れることだよ」UCLAリーバーマンは言う。「だから反応するシステムは必要に迫られないと何もしたがらないんだ」
 それで、直感は体験する事の最初のフィルタ、われわれにとって一番やっかいなことになりそうなものへの精神的な労力を保てるような瞬間的なフィルタとして機能してくれる。類似性を認識するもの凄い能力があるため、反射するシステムは違いを見つけ出すと、簡易的に警告を発する。例えば道路を運転していて意識的な注意が払われているときに、何百もの刺激が毎秒流れていく。家、木、店舗、出口の標識や広告、残り距離の標識、頭上の飛行機、走っていく車の形と色やナンバープレート、街灯にとまる鳥、車内に流れる音楽、後部座席で子どもがやっていること…。全ては幸運にもぼんやりとしたかすみの中を流れていく。全部親しんだパターンなので、努力を要しないで道を通っていくのだ。
 だが何か違う瞬間…前のトラックのタイヤが破裂するとか、横断歩道があるとか、お気に入りのお店でのセールのお知らせがあるとか…いったときには反応する系がぼんやりとした背景の中からつかみ出してきて、ブレーキを踏ませるのだ。