ガリレオと教皇庁なんかよりは短いのかもしれませんけど。

 死後55年ですか。2000年(1912年生まれ)くらいまで生きていたらどんな貢献をしたのかと思うと、惜しいことをしたなあと思いますが、率直に認める政府をうらやましく思います。

http://www.number10.gov.uk/Page20571

 2009年は過去の人々に深く負ってきたものを、英国が国家として振り返る機会とする内省の年となっている。様々な記念行事や企画が、私たちの中で、英国を形作る誇りや感謝の思いを混ぜ合わせている。今年のはじめ、65年前にノルマンディーに上陸した人々の行動と犠牲を讃えるために、私はサルコジオバマ大統領と立っていた。先週には、英国政府がファシズムに対して武器を持つ意志を示し、第二次世界大戦の勃発を宣言してから70周年を迎えた。
 そのため、コンピュータ科学者、歴史家、同性愛アクティビスト達の協力のおかげで、独裁政の闇に立ち向かう英国の戦いへの別の貢献、暗号解読者アラン・チューリングのそれを記念し、祝福する機会に今年をできることを、私は嬉しくも誇らしくも思うものである。

 チューリングは真に偉大な数学者で、ドイツのエニグマ暗号を解読したことでよく知られている。彼の際立った貢献がなければ、第二次世界大戦の歴史はもの凄く違うものになっただろうと言っても誇張にはあたらない。戦争の流れを変化させる貢献を行った人々だと我々が挙げられる個人の一人であった。それゆえに、彼に対して皆が負うものが大きいだけに、彼が非人間的な扱いを受けたということをなおさら恐ろしいものとしている。1952年に彼は「ひどく猥褻な行為」、要するに同性愛者であること、で有罪とされた。彼の刑は ー悲劇的な以下の選択か収監を選ぶものでー 女性ホルモン投与の継続による化学的去勢であった。彼は二年後に自らの生命を断った。

 何千もの人々がともにアラン・チューリングへの正義や、彼が受けた治療の酷さへの認識を求めてきた。チューリングが当時の法律下で扱われて、我々は時計を戻すことは出来ないが、彼の治療ははもちろん本当にまったく酷いものであったし、そして私が、私と我々皆が彼に起きたことに対して深く遺憾の念を示せる機会を持つことを望ましいものであると思う。同性愛嫌悪的な法の下で、アランと、彼と同様に有罪とされた数多の他の同性愛者はひどい扱いを受けた。何年にもわたって何百万もの人たちは有罪とされることに怯えて生きてきた。
 このような日々が去り、過去12年においてこの政府が私たちの同性愛コミュニティにとってもより公正で平等な生き方を生み出してきたことを誇りに思う。
 アランをイギリスで最も有名な同性愛嫌悪の犠牲者と今回位置づけることは、平等への新たな一歩であり、懸案事項であった。
 
 だがそれ以上に、アランは人類への貢献を認められるのに値する。統一され、民主的で平和なヨーロッパに1945年以降に生まれた我々のような人たちにとって、大陸がかつて人類の最悪の時間の脅威にさらされていたことを想起するのは難しい。生存する人の記憶の中で、人々が、憎しみ、反ユダヤ主義、同性愛嫌悪、外国人嫌悪、その他の殺人的なまでの偏見によって消滅させられてしまい、ガス室や火葬場が、ヨーロッパ文明を数百年特徴づけてきた美術館や大学やコンサートホールの如くヨーロッパの風景となったことを信じることは困難である。アラン・チューリングみたいに、ファシズムとの戦いに身を投じた人々のおかげで、ホロコースト、全面戦争の恐怖はヨーロッパ史の一部ではあるが、現在の話ではなくなった。

 こうして、イギリス政府を、そしてアランのなし得たことに謝意を示したいすべての人々を代表して、私は述べることを誇らしく思う。
 「申し訳ありませんでした。貴方はもっとより良い報いに値したのに」

ゴードン・ブラウン