異常な誘惑

 大抵の人は児童との性行為という考えを嫌悪するものである。しかし子供を小児性愛者から守り続けるということは、破壊的な欲望がどうやって起きて、鎮めていくのかを知ろうとする試みである。
 
 少女と男性が公園のベンチに腰掛けている。彼女は本に目をやっていて、彼は彼女に視線を置いている。しばらくして彼らは話し始めてから親しげな会話に発展する。「僕の膝に座らない?」彼は穏やかに尋ねる。声の中には性的な興奮がかすかに感じとれる。
 映画をみている人たちは、座席で落ち着かなくなる。見ているのは小児性愛者の生活を描いたニコール・カッセル監督の「ウッズマン」だ。児童虐待で12年間服役した後に、ウォルターは独りで新しい生活を始めようとする。自分の部屋をもち、仕事につき、最近結婚した。しかし、「普通」の存在への道は厳しい。彼の同僚は疑っては冷たくあたる。彼の姉妹や警察は侮蔑的にあたる。映画をみている人たちは、このような人が復活できるのかと疑問に思うだろう。多分彼は永久に社会から取り除かれるのだ。

 ブランコの写真と注
 「犯罪者が無垢な存在と出会うこと」
 小児性愛者は常に自分の性的な欲求と格闘する生活を送る。彼らのほとんどは断罪や処罰への恐怖から、欲求を生涯にわたって隠し通す。

 マーク・フォーリーの写真と注
 フロリダ選出の下院議員マーク・フォーリーは、当時18歳未満であった議員の研修生たちに対して露骨な性的な表現の電子メールを送っていたことを追求され辞職した。

 一般の人々はペドファイル、児童で性的に興奮する人たちに機会を与えることを好まない。米国の厚生省によれば2002年には89000人の児童が性的虐待を受け、他の調査ではもっと多いのではないかともされている。一方で10−17歳の児童の1/7がネットで性的な誘惑を受けていると全米行方不明・被搾取児童センターは2005年に報告している。児童性愛者はこういった性的な勧誘や虐待事件の多くに関与している。そして有罪判決を受ける児童性愛者の中でも、特に男児にひかれる人々は、累犯率が高い。
 しかし児童虐待者みんなが児童性愛者とは限らない。実際、虐待者の中には、子供を好むからではなく、成人よりも弱く言いなりにしやすいので標的にするものもいるのだ。もっと言えば、小児性愛の傾向があるからといって、皆がその傾向に従って行動するわけでも、暴力的になるわけでもない。認識されていることを繋ぎあわせてみると、多くの小児性愛者は、自分の隠した欲求と闘いながら児童に囲まれて、ひっそりと行動しているのである。
 そしてこれは危険なものになりうる。
 したがって、研究者の中には、世界中の子供の安全のために、小児性愛者は研究と治療の対象となる精神異常であると社会に認めさせようとするものもいる。この考え方は、児童虐待の犯罪行為と精神状態を区別するものであり、この二つが常に関連しているわけではないためである。この戦略は、隠れている小児性愛者の未知数を治療に導き、子供を傷つける可能性を減少させるただ一つの方法になってしまうかもしれない。

 オフィシャルにビョーキ
 1886年にドイツの精神医学者リヒャルト・フライヘル・フォン=クラフトエビングは「pedophile」(ギリシャ語由来で、子供という意味の語と愛から来ている)という用語を作り出した。クラフト=エビング児童虐待という現象から子供への欲望を分離してみせた最初のひとりであった。彼の当時の革命的研究『性の精神病理』の中で、クラフト=エビングは、性的に異常な考えはそれ自体は犯罪的ではないが、場面に応じて病であると認識すべきと述べた。実際、小児性愛は米国精神医学会のDSM4の中にもリストされている。この書物においては小児性愛を、六ヶ月以上にわたって生じ、児童との性的な行為を含む、繰り返し生じる性的に興奮する空想や衝動的な欲求や行動の全てと定義している。
 クラフト=エビングはさらに、思春期以前を偏愛する真性の小児性愛と、成人の代用として子供を用いる児童虐待の形態との分離を先駆して唱えた。後者の小児性愛者は、成人の人間関係がうまくいかなくなるとか、そこに至れそうもないと感じた後にやがて子供に目を向けるようになる。
 後者は「環境による虐待者」である。これらの人々は−多分精神異常によって−同等の関係を築くことができないか、成人同士の関係において挫折感や屈辱を感じてから子供に目をむけるのかもしれない。下位の項目の「老齢小児性愛者」は、例えば、男性が自分の老齢や進行した性的不能から、感受性が強くて言いなりになる相手を標的にする。「環境による虐待者」には、仕事柄継続して児童と接触があり、自分の性的欲望を行使する状況にはまり込むような人も含まれる。
 
 ゆがんでいく愛
 小児性愛の理由や治療への研究はまだ、断片的にしか行われていない。このような研究の足かせとなっているのは、この状況を研究し治療しようとする科学者や臨床医が、精神異常を理解し問題解決しようとする人々としてではなく、児童への違法な性的行動の支持者であると烙印を押されることである。しかしながら、他の複雑な心理学的事象のように、小児性愛は遺伝や環境的な因子によるものと考えられている。多くの専門家は、人格形成において重要な時期の子供のときの経験から性的選好の異常が生じてくると信じている。特に、様々な研究は小児性愛者が、子供のときに暴力や性的虐待の犠牲者でだったことがよくあることを示してきている。2001年のこのような研究の一つ、ロンドンroyal free hospital 医科大学の研究者のレビューでは、ロンドンの性犯罪者や性的異常者の診療を行っている病院での225人の男性の性的虐待者と、522人の男性の患者に関する報告がなされた。性的虐待者は、そうでない患者にくらべて、かなり高い頻度で性的虐待の被害者となっていたことがあり、性犯罪者の男性の中の、被害者が加害者に転じるサイクルが示唆されている。
 ロンドン児童健康研究所のデヴィッド・スクース達はさらに研究し、性的虐待の被害者を後に性犯罪に走らせる他の因子を調べようとした。若年男性の性的虐待被害者の224人のうち、26人(12%)は7−19年で追跡調査をやめるまでに性犯罪、典型的なまでに児童とのものに走った。2003年の報告において、犯罪者となった被害者達は共通してネグレクトや養育放棄を受け、女性からの虐待も受けていた。そして、家族間での暴力も目にしていた。精神分析でいわれるように、このような不適切な子供時代をすごすことは、鬱屈した感情を優越感に置き換える必要を生じうる。この感情的な転位を得るために、立場を逆転させて成人で性的な攻撃者にまわるかもしれない。
 しかし、他の事例において、虐待されたもしくは肉体的に苦しめられた小児性愛者は児童を支配しようとするよりは「純粋な」関係をもちたがると、ニューハンプシャー大学の社会学者デヴィッド・フィンケラーは述べる。このような人たちは、教育や自尊心の欠如をともなう特徴と、児童の思考パターンや生活とを同一視したがる。児童と多くの時間をすごし、「精神的な調和」がとれるこのような場合に、幸福や安らぎを感じて自分自身も子供じみた行動をとりさえする。
 フィンケラーによれば、小児性愛者は普通のセクシャリティの発達を阻害する、固着した性的関心をもつこともよくある。抑制のきかなさが状況を形作る。小児性愛者は精神病や衝動的行動やアルコール依存症に苦しむのかもしれない。衝動的な小児性愛者という概念を裏付けるように、トロント大学の心理学者ロナルド・ランゲヴンの研究班は、児童にいたずらをする男性の前頭葉に、そうでない人との間に差を認めた。脳のこの領域は高次認知機能や、その中でも衝動のコントロールに重要な場所である。

 生物学的な責任?
 場合によっては、小児性愛者になるもとというのは心理学的なものというよりは生物学的なものかもしれない。例えば、2002年の予備データでは幼年期の脳の外傷が小児性愛につながっている。トロント大学のレイ・ブランシャールの研究班は400の小児性愛者とそうでない人の800 の病歴を比較してみたところ、6歳以前に意識を消失するような事故に会う頻度が高いことがわかった。(このような事故は低い知能や教育レベルとの相関もあった)
 幼年期の脳へのダメージが小児性愛になるのが必然的であるとはいえないと、著者たちも記す。小児性愛につながる脳の変化をもって生まれてくると、事故にも遭いやすくなっただろう。この例では脳への傷害は小児性愛に付随的なものであって、主因のものであるとは言えない。他の脳に関連する異常、注意欠陥障害のようなものは、小児性愛や事故との遭いやすさにやや相関がみられる。(小児性愛者が他の人に比べて、子供の頃に注意欠陥障害であると診断されたことがある場合が多く見られるだけであって、注意欠陥障害がある子供が小児性愛者になりやすいということではない。)
 一方で、家族歴を用いて、ジョンホプキンス医大のフレッドバーリン小児性愛者と直系の家族構成員はそうでない家族と比べて、高い小児性愛者の割合があることを示した。しかし、小児性愛に特異的な遺伝子多型は見つかっていない。こういう遺伝子が見つかったとしても、この障害を全て説明できるようなものではないだろう。

 援助をえること。
 小児性愛への治療は典型的には対話療法と投薬の組み合わせである。心理療法は二つの場合がある。フロイト精神分析はトラウマとなった出来事に光をあてて、患者の子供時代の危機を認識することで、問題を議論し解決できるようにする。認知行動療法では、有害な行動につながるような状況を認識し避けることを患者ができるようにより実践的な方向性に重きをおいている。療法家は患者の認知のゆがみ、例えば「児童が望む」といったようなものを矯正しようとも試みる。
 ポルノグラフィを避けることも、小児性愛者にとって誘惑を減らすひとつの方法かもしれない。専門家には、子供を性の対象と描くポルノグラフィは性的ファンタジーを助長し、抑制を減らすとしているものもいる。
 オタワ大のドルー・A・キングストンによる児童へのわいせつで有罪となった341人への2008年の調査では、ポルノグラフィを用いる高リスクの犯罪者は、有意に、特に違法な内容を含むポルノグラフィを見た時に、再犯につながりやすいという傾向を発見した。しかし、近年インターネットの発展にも関わらず、児童への性犯罪は増えておらす、ポルノグラフィと犯罪の関係はまだ不明瞭なままである。
 心理療法プログラムをうまく終えた性犯罪者は再犯することは少ないし、するとしても性的なものではないとライセスター大学の犯罪学者シャーロット・ビルビーロンドン大学の心理学者ベリンダ・ブルックス・ゴードン・バークベックの2006年のイギリス医学雑誌のレビューではのべている。しかしすべての小児性愛者に心理療法が有効であるとは限らないとも二人は観察している。
 小児性愛を無くしていく追加の援助として医師は選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRIのような薬を処方するかもしれない。この薬は鬱病や不安神経症に対して用いるが、性的な欲求のコントロールを助けることもある。SSRIは脳における伝達物質のセロトニンの量を増加させる。この増加はヒトの感情面の状態によい効果を持つとされている。筆者のグループは2003年にこれらの薬物が有意に小児性愛者達で、性的な妄想や性的欲望、強迫的な自慰行為を減らしていると報告した。だがしかし、この小児性愛者に対しての研究はプラセボを用いての比較を行う臨床治験としては行われていない。
 他の有効とされる薬物は。脳の基底の部分にある小さい領域の複数の作用により支配されるホルモン制御システムを標的とする。視床下部と下垂体である。このあたりのホルモンの共同作業の一つとして、視床下部は黄体ホルモン放出ホルモンと呼ばれるホルモンを作り、下垂体で黄体ホルモンを放出させる。黄体ホルモンはすぐに精巣を刺激して男性ホルモンテストステロンを生成し、分泌させる。
 酢酸ロイプロリド、いわゆる黄体ホルモン放出ホルモンのアナログ(訳注:構造を似せて受容体をふさいで、そこから先の反応を抑える)のような薬物はこの一連の反応を抑えて、劇的にテストステロン生成を減少させて、去勢と同等の効果をもたらす。こういった薬を使う時に、犯罪的な性的な傾向を示す患者が衝動的な行動を有意におさえることができる。こういった薬や他の薬は患者に、十分に落ち着いた状態で、自分の衝動やしばしばつらいものとなる性的な妄想や行動について開放的に話すことができるように助けることができる場合もある。
 皮肉なことに、治療が上手く行くこと自体が面倒な事態になることがある。犯罪的な欲求に対する制御を得る援助をすることは、以前の自己評価を形作っていた歪みを矯正することにしばしばなるものである。結果として、患者は深刻な自我の危機に直面する。この時点で、心理療法家は小児性愛者が以前は小児性愛から得ていた精神的な安定への適切な代わりとなるものを見つける手助けをしようとする。しかし現在でも、そのような援助はなされていないに等しい。大半の小児性愛者は残りの人生で、自分の偏愛の抑制のために苦闘し続けなばらないのだ。